6.26シンポ開催報告


小森陽一講演+WGメンバーパネル

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6月26日(土)午後、東京大学駒場キャンパスで小森陽一東京大学教授による講演「21世紀、日本語教育のはたすべき役割」と、パネルディスカッション「地域が輝く、日本を変える、日本語教育」が行われ、日本語教育の今後を見すえる議論が交わされました。参加者約140名のうち日本語教育学会員と非学会員の割合が半々であったことは、講演者である小森陽一氏の魅力に加えて、「日本人・日本社会に貢献する日本語教育」のあり方への関心が広まっていることも反映しているように思います。

尾崎日本語教育学会長の開会挨拶では、今回の「集い」が日本言語政策学会、地域活性学会の後援、および三井物産の協賛を得たことに謝意が表され、今回の日本文学研究者である小森陽一氏の講演と法制化WGメンバーとの議論を含めて関連領域との連携が今後ますます必要となってくることが強調されました。


第1部 基調講演

小森陽一「21世紀、日本語教育のはたすべき役割」

小森氏は、「帰国子女」という言葉もない頃の「帰国子女」だった自らの「二重言語」状態の苦しみ、悩みを軽快なユーモアでくるみつつ述懐され、そこに「書き言葉と話し言葉の根源的な違い」への無自覚を見ていきます。この点は、0歳から5歳までに、周囲の大人たちの「ことばのシャワー」を浴びることによって幼児に「言語脳」が育っていくという議論につながる伏線になっているように思いました。

ご自身の留学生の教え子たちがアメリカや中国における日本研究者として活躍されていることにふれて、日本語で日本研究ができる研究者を育成する必要を強調されるとともに、近年のグローバル30政策に見られるような「英語プログラム」重点主義では日本を深く理解する学生は育てられないとの危機意識を表されました。

この点は、「英語の世紀のなかで」「日本語が亡びる」ことに警鐘をならした水村美苗の危機感に通じています。小森氏は、日本語教育関係者も水村氏の危機感を共有するべきだと呼びかけます。

また、金子勝・児玉龍彦『新興衰退国ニッポン』が描く「子どもの貧困」に目を向けなくてはなりません。母親ひとりに育てられている子ども、あるいは母親も働かなくては生きていけない家庭の子どもは、「ことばのシャワー」を浴びることができないからです。ことばは決して自然発生的に受け継がれていくものではなく、周囲の多くの大人たちによるコミュニケーション環境の中で習得されていくものなのです。

小森氏は、「子ども手当て」に体現されたような「子どもは社会が育てる」という社会的合意が、定住外国人の児童・生徒に対する日本語学習支援によって先行的に実践されていることに着目し、その点に「21世紀の日本語教育のはたすべき役割」が集約されていると見ます。小森氏によれば、「地域日本語教育コーディネーター」が定住外国人の日本語学習や生活面での支援のために形成している、行政やさまざまな専門家との協働のネットワークは、湯浅誠氏の「反貧困のネットワーク」の活動と重なる先駆的な努力なのです。



第2部 パネルディスカッション


1.外国人の学習権保障と日本語教育        宮崎里司


宮崎氏は、日本国内における義務教育未修了者に対する教育保障が驚くほど低いという現実を、夜間中学と少年院という事例から見ていきます。義務教育未修了者には、外国人の比率が高いのですが、近年は夜間中学や少年院で学んでいるニューカマー外国人子弟も増えています。宮崎氏自身が墨田区立文花中学校夜間学級での日本語教育支援を実施している立場から、夜間中学や夜間学級、少年院における日本語教育の重要さに目を向ける必要を訴えるとともに、「働きながら学び直せる機会」という観点から夜間中学の存在を再評価すること、さらには、外国人子弟への「義務教育の保障」や「学習権」という観点から捉えかえすことを私たちに促す問題提起でした。


2.地域が輝く!?「日本語学習支援」の現場から見えてくること

――夢を語り合うことの重要性             野山 広


野山氏の報告は、地域日本語教育の現場が、外国人学習者が「生活者」として必要な日本語力をつけることを目的として、さまざまな工夫のもとに実践されていることを豊富な実例を通して紹介するものでした。例えば、地域日本語教育の行事としてのバス旅行では、「集合時間」という漢字の読みとともに、「集合時間はいかに守られるべきか」について身をもって考えてもらう場にもなっています。同様に、花見では、終わった後のゴミ収集を通じて、日本社会におけるゴミ出しのルールを学んでいます。このように、定住外国人が一人の住民としてまわりの社会から認知されるように支援することが、地域日本語教育およびそのコーディネーターの活動の目標であり、そうした活動に携わっている人は自然に「輝いて」いくもののように思えます。


3.日本を変える「日本語教育のスタンダード」    平高史也


国際交流基金が、「ヨーロッパ共通言語参照枠CEFR」を参考にしてつくった「日本語教育スタンダードJFST」は、それを手本とするという意味での「基準」ではなく、あくまで「日本語教育をデザインするためのツール」であり、それぞれの教育現場に即す形に加工して利用するべきものです。平高氏は、ご自身が勤務する慶應藤沢キャンパスにおけるベトナムからの留学生への日本語教育にJFSTを援用した実践を紹介され、JFSTがさまざまな目的に応じて柔軟に使用できるものであることを強調されました。また、JFSTはCEFRと同様多言語主義や多言語社会を前提としたものであり、JFSTが主導する形で、将来的には、中国、韓国との間でCEAFR(東アジア共通言語参照枠)を形成することも「夢」として期待したいと話を結ばれました。


4.小森氏のコメント


宮崎氏の提起した「学習権」の問題は、貧困の問題と密接不可分です。湯浅誠は、貧困によって基本的人権が侵される際の「5つの排除」について述べています。人は貧困によって1)企業福祉、2)社会福祉、3)家族福祉、4)教育、5)自分自身の5つから排除されます。これは外国人労働者家族が受けている排除と直結しており、学習権とはまず「自分自身」を獲得することの保障であると言えるでしょう。また、野山発表は、地域社会で基本的生活を営む上での「社会の文法」を体得する学習を示したと言えます。そして、平高氏は、それぞれの言語が相互に平等な立場で「言語の共通スタンダード」を擦り合わせていく土俵の構成を示していました。

これら3つの報告から、1)権力的な主体―客体関係ではなく、相互主体的な関係をいかに作りだせるか、2)経済的な支配関係に依拠するのではなく、相互的な言語コミュニケーションをいかに形成するか、という2つの課題が見えてきたと思います。




5.会場とのやりとり

なかなか正規職業を得られない日本語教育の現状や、現場からの方が日本語をよく学べるという看護師の日本語学習などからは「日本語教育の必要性」自体が問われているのではないかという春原憲一郎氏の逆説的な質問に触発される形で、パネリストや小森氏、山田泉氏からそれぞれに示唆的な応答がなされました。日本語教育の専門性や社会貢献を幅広く訴えていくことの必要性や、地域日本語教育専門家の育成が必要であること、Welfare Linguisticsというような、ことばの教育と福祉の観点の連携が重要であり、特に「子どもの人権」を保障することが喫緊の課題となっていることが指摘されたのが、特に印象に残りました。


そのほかにも、「日本語教育スタンダード」における「スタンダード」という表現が「基準」を押しつけるような意味あいになっている点の指摘や、LD(学習障害)を日本語教育においてどう捉えるか、言語政策の観点からも国民性よりも市民性を重視する観点を打ち出すべきではないかといった問題提起がありました。


全体として、小森氏の講演やコメントにあったように、地域日本語教育の活動が日本社会の「反貧困」の活動と通底している点、また、異文化間コミュニケーションによって鍛えられた日本語教育は「相互主体的関係」のもとの「相互的な言語コミュニケーション」を日々実践している点を確認できたことを中心に、日本人・日本社会に貢献する「日本語教育」の姿が垣間見えた「講演+シンポジウム」だったと思います。

(文責:門倉正美)

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